いまから2年前のことになりますが、2019年とは、日本とDE ROSAにとって特別な年でした。それはDE ROSAが日本に紹介されてから半世紀。50年目の節目だったのです。50年前のDE ROSAは、創業から16年を経て、その評価が高まる急成長の時代にありました。ひとりのビルダーがミラノの小さな工房から送り出すフレームの魅力に、世界が気が付き始めたのです。当時の日本に、その存在を知る者はほとんどありませんでしたが、偶然にもひとりの目利きが一本のフレームと出会います。それは個人輸入されたDE ROSAでした。
「無骨であるがなんとも素晴らしい自転車だった」
当時を回想するのは、東京上野の老舗自転車店、横尾双輪館の横尾明さん。偶然目にした名も知らぬイタリアのビルダーが作ったフレームに惹かれた横尾さんは、この「縁」を機にDE ROSAの取り扱いを開始。以来、横尾双輪館はDE ROSAと出会ってから半世紀が過ぎた令和の現在においても、DE ROSAを丁寧に組み上げる自転車専門店として広く知られています。
縁。そう、DE ROSAと日本には、確かに縁が存在します。それも日本人が繋いだ縁が。
1970年代前半、ビルダーを志して海を渡ったひとりの日本人が、Cusano MilaninoのDE ROSA、Ugoさんの下で経験を重ねていました。それは世界選手権個人スプリント10連覇を達成した大選手、中野浩一氏のフレームを作り続けたビルダーの長澤義明さん。現、ナガサワレーシングサイクルの代表、その人です。当時、寸暇を惜しんでフレーム作りに没頭するUgoさんと寝食を共にした長澤さんは、組み上げられたフレームを世界各国に発送することも仕事の一部でした。そして長澤さんの手を経て受け取ったDE ROSAを日本で販売したのが、横尾双輪館の横尾さんであったのです。
こうしてDE ROSAと日本を繋いだ横尾さんと長澤さんの縁は、実は長澤さんが高校生の時代から続くもの。自身も選手出身で、大学でオリンピック代表候補にもなった長澤さんが初めて購入したロードバイクは、驚くことに横尾双輪館のオリジナルでした。
DE ROSAが日本に上陸して50年。その歴史に寄り添った日本人のストーリーがあったことは、あまり知られていません。
DE ROSAはヨーロッパを始め、アメリカやアジアなど多くの国々に輸出を行っていますが、彼らは常に日本のサイクリストに敬愛の念を抱いています。それはUgoさんにとって、そしてDE ROSAにとって、日本のサイクリストは特別な存在であるからです。カーボンフレームの影も形もなかった時代、小規模少量生産のDE ROSAを、不安定な入荷も止む無しと辛抱強く待ち続け、そして手にしたサイクリストは誰もが喜び、大切に乗り続けたことを、DE ROSAはよく知っていたからです。自分たちが丹精込めて作った自転車を、遠く異国のサイクリストが情熱をもって愛してくれることが、彼らにとってどれだけ嬉しく、励みになったことか。DE ROSAが日本に温かい目を向けるのは、彼らは当時の感謝を決して忘れることがないからです。
むろん、こうした情報がもたらされたのは、当時のDE ROSAには、彼らと精神的に極めて近かったふたりの日本人が存在したからに他なりません。
相手を思いやるANIMA(真心)やPASSIONE(情熱)は、年輪のように優しく、大きくなるものです。そんなDE ROSAが日本のサイクリストを思う気持ちが一気に高まったのが、互いの出会い50周年の区切りである2019年でした。25年を一区切りで考える彼らにとって、50年という歳月は我々が考える以上に意味深いものだったようです。そして感謝の気持ちをかたち(記念の製品)にしたいというDE ROSAの意向に、我々DE ROSA JAPANはとても驚いたのです。数ある輸出先のなかで、特定の国のユーザーに向けてモノづくりを行うとは、にわかに信じられなかったからです。我々の驚きをよそに、日本のためだけに記念の品を作るアイデアやプランは数多く出されました。しかし演出めいたことや派手なアクションはDE ROSAらしくありません。50周年の数字にあやかり、50本のスチールフレームを制作することに留まったのは、かえってDE ROSAらしかったのかもしれません。
DE ROSAは当初、希望するすべての日本のファンに向けて、記念のフレームを制作することも検討していましたが、彼らの規模や生産能力、そして深刻なコロナ禍にあった北イタリアでは、オリジナルのスチールフレームであっても50本の生産が精一杯でした。そもそもこのプランは商売ではなく、UgoさんとDE ROSA Familyが、日本への友情に明確な足跡を残すことが目的だったからです。
最終的に、50本の記念フレームは、DE ROSAのオフィシャルオーナーズクラブである、Gruppo Sportivo DE ROSA Giapponeの会員向けに販売することになりました。実際に購入することができないフレームを、いまここで改めてご紹介することにお叱りを受けるかもしれません。しかしDE ROSAが日本のサイクリストを思う気持ちを、50年の区切りに、彼らのCuoreの根源ともいえるスチールフレームで表現した事実を記しておくことで、DE ROSA JAPANの立場から彼らの感謝の気持ちを、DE ROSAを愛する日本のサイクリストにお伝えできればと考えた次第です。
DE ROSA日本上陸50周年記念フレームのベースは NEO PRIMATOです。
カラーはBiancoで、基本的にシンプルなグラフィック。
トップチューブ、フォーク、シートチューブには、歴代のヘッドマークと、DE ROSAが刻んだ歴史を彩ってきたたロゴがデザインされ、UgoさんとDE ROSA Familyたちが自転車に注いだ歴史と情熱を表現しています。
フレームにデザインされたロゴやマークについて、使われた時代や当時のDE ROSAについて、UgoさんとCristianoさんからコメントをもらいましたので紹介します。
これは1965年に使用されたロゴ。レッドカラーでDE ROSA社の生産が増え始めたときに使われたものだそうです。
このロゴは、80年代に使用されたものです。ブルーカラーで、スチールのフレームのみに使われました。彼らと話していて、いつも驚かされるのが、UgoさんもCristianoさんも記憶力がずば抜けていることです。ひとたび問えば、30年前、40年前のことを、間髪入れずに話してくれます。まるで昨日のことのように。
これは少々古いものです。50~60年代に使用されたもので、着想はUgoさんのエレガントバージョンのサインだったそうです。
これは70~80年代に使用されたロゴで、モダンなデザインになっています。NEO PRIMATOとNUOVO CLASSICOのフォークの肩に使われているのもこのロゴで、今回の記念フレームのフォークの肩にも使われています。
続いて歴代のヘッドマーク。これは67年から71年までヘッドチューブに使用されたロゴ。ビッショーネという北イタリアの紋章によく使われた伝説の大蛇で、人を飲み込む姿で知られています。ミラノ公国やアルファロメオのロゴなどに使われています。Ugoさんによるデザインで、ミラノへの誇りが感じられます。
これは80年から85年まで使用されたDE ROSAのハートマークとUCIのアルカンシエル(現在アルカンシエルの使用は不可能)。この組み合わせはプロレースと関係を深めた80年代前半、プロフェッショナルライダーとのコラボレーションの象徴。
意外に短命だったマーク。77年と78年に使用されたそうです。初めてイエローカラーを使ったハートマークだったとのこと。
これは80年代の半ば頃に使用されたもので、採用されたモデルは数少なかったそう。
これはずいぶん新しく感じますが、2000年ぐらいから使用されたもの。90年代の終りのロゴの進化で、オープンのハートマークで、モダンなデザインになりました。
これは90年に使用されたもの。ハートの下の菱形が アルカンシエル の代わりにイタリア国旗の色になりました。1990年のイタリアはワールドカップの開催国。彼らは自転車同様、サッカーも大好きなので偶然ではないようです。
最後はダウンチューブのロゴです。50周年記念フレームの右側には、日本で販売された最初のDE ROSAに付けられたロゴで、時に1971年。イエローカラーなので、少々特別だったようです。
そしてダウンチューブ左側のロゴ。この組み合わせと対比は、DE ROSAと日本の長い歴史を示すためです。
50周年記念フレームにデザインされたロゴやマークはDE ROSAの歴史の一部です。 Cristiano さんや Nichocolas さん、そして何よりもUgoさんが昔を懐かしく思いながら、そして楽しみながら選ばれたものです。
ロゴやマークには多くの余話がありますが、今回の企画において気になったことがあったのでUgoさんに訊ねてみました。それはイエローに染められたロゴについてです。黄色のロゴはあまり馴染みがないように感じたのですが、Ugoさんいわく、実はそれなりに多いとのこと。するとUgoさん…
「ワシは実はイエローも好きでな、イエローとブルーの組み合わせは悪くないと思っているのじゃ」
…とのこと。
確かにアートでも反対のカラーの組み合わせはよく使われるので、Ugoさんのセンスの一端を改めて知ることになった、DE ROSA 日本上陸50周年フレームでした。